ロミレーの0学カフェ日記 〜恋と人生のヒント〜

0学運命分析で読み解く、恋と人生のヒントをお届けしています。

『もう笑えない…それでも笑いたい私たちへ|0学で読む“笑いの境界線”』

突然ですが、「笑い」とは、何でしょうか。

 
楽しいから笑う、面白いから笑う──
基本的にまぁ、ただそれだけですね…
 
0学の視点から読み解いていくと「笑い」はとても深く、繊細で、
ときに“運命の分岐点”すら象徴する、特別な感情になります。
 
だいぶ前になりますが、
芥川賞を受賞した又吉直樹さんの小説『火花』を読みました。
 
内容は、お笑い芸人という職業を通して描かれる、
先輩と後輩、神谷さんと徳永くん。
 
この作品には、ただ面白いだけではない、
“笑いの本質”が何重にも重ねられて描かれて いました。
 
新時代に入った今、お笑いの構造が、ふと気になるようになりました。
 

◆「笑い」は陰陽の“つなぎ”である

0学では、「笑い」は山羊座要素、 相反する陰陽が交差し、
“つながる”瞬間に生まれるものと考えます。
 
つまり真逆(正反対)のものをくっつけること。
たとえば反対のもの、
 
・赤ちゃんに老人の服を着せる
・巨大なものの隣に、極小のものを並べる
・賢そうな人が、とんでもない失敗をする
 
こんな感じでも、なんだか可笑しくなってしまいます。
 
こういった、“本来は交わらないもの(反対の要素同士)“を重ね合わせたとき、
「笑い」が生まれます。
 
つまり笑いとは、陰と陽、正と反、常識と非常識──そのギャップを
抱きしめる感性から生まれます。
 
こうった笑い(ユーモア)は、0学でいう山羊座要素ですが、
これと同じ構造のものが、もう一つあります。
 
それは「間」です。
 
 

◆笑いの心臓部は「間(ま)」

”お笑い”ではなくても。皆様ご存知のように歌舞伎でも落語でも、
成功するかどうかは、「間(ま)」の 取り方にかかっているといわれています。
 
タイミング。沈黙。外し。余白。
 
0学でも「間」山羊座は“坤地=陰”を意味します。
つまり、笑いのためには「陽=動き」だけでなく、
“陰”の要素=静けさ、ズレ、緩みがどうしても必要なのです。
 
そして、笑いには、方向性も重要です。
 

◆笑いの“最終着地点”に、愛があること

0学の観点で見ると、笑いにはもうひとつ重要な要素があります。
それは、笑いの向かう先が“愛”であること。
 
山羊座を価値あるものとして発展させるには、
大犬座の方向に向かわなければならないのです。
 
なので笑いの種が、相手を貶めるとか、 嘲笑するだけになってでは、
本当の笑いは“成立”しないのです。
観客も心から笑えなくなりますね。
 
「笑わせてあげたい」「喜ばせたい」という思いが伝わるとき、 笑いは人を
つなぐ優しい力になります。
 
かつて、ビートたけしさんのような“毒舌”が 時代の最前線を風靡していた時代が
ありました。 あれは、毒の中に「知性」や「人間理解」、
そして、どこかに**“素朴な愛”のニュアンスが滲んでいた**からこそ、
成立していたのだと思います。
 
当時は、”毒舌がウケる・・”と認識されやすかったので、 毒舌での笑いを真似した
芸人さんは、たくさんいましたが、 じつはその方向性が肝心で、
“愛”が感じられない毒舌は、灯火が短く、 なぜか長くヒットが続きません。
 
そう、山羊座要素は運命の分岐をあらわす要素でもあるため、使い方を間違うと
一気に転落してしまいます。
支配星でいうと、海王星は、山羊座を決定ポイントに持つため、山羊座の扱いが
悪い場合、恐ろしい勢いで転落してしまうことがあります。
 
お笑いの話に戻りますが、人によっては、愛が感じられない毒舌は、拒絶されてしまうこともあります。
 
同じ毒舌でも上手くいく、いかないのポイントは、 方向性にあるのでしょう。
 
0学で言えば、 笑いには山羊座(坤地)の要素が必要であり、
社会的な共感や風紀を超えると、“滅び”の流れが始まるのです。
 
今はとくにその傾向が強くなりました。 新時代に入り、人の心はより繊細になって
いますから、笑いは、紙一重。 間も紙一重、 ちょっとしたズレが、 “ウケる”にもなり、“炎上”にもなる時代。
 
だからこそ── 今、笑いに必要なのは、ますます“愛”の方向性なのです。
小説『火花』の中で描かれた数々のネタも、 よく見ると、見事に相反する要素を
織り交ぜながら、 「愛」「人間理解」へと着地していくものでした。
火花にそのような、涙、涙の感動シーンがありました。
しかし、あの小説にさらに重要なテーマがもうひとつありました。
最後のシーンです。 最後はなぜ?
 
 

◆小説”火花”ラストシーンのせつなさの理由

あの有名なラストシーンです。 なぜ徳永くんは神谷くんを最後に
“笑えなかった”のか? とても切ない終わり方でした。
 
ラストシーンがあのような形だったので、解釈がいろいろ、 賛否ありました。
物語のさいごに、先輩の神谷さんが見せた、衝撃的な姿。
破天荒で、ある意味「笑える」はずのその姿を、 なぜ私たちは“笑えなかった”
のでしょうか。
 
それは── 今の私たちが生きる「社会という箱」が、その種の笑いを許さなくなって
いるからかも しれません。
子供はいまでも無邪気に笑ったかもしれません。
 
大人になると、知恵がつきますし、エゴも芽生え、 社会の“ルール”や“常識”が、
自分の中に箱をつくる。その箱が小さくなればなるほど、 かつて笑えたものが、
笑えなくなっていく。
 
でも本当は、あの姿を「笑える社会」のほうが、 もしかしたら、もっと平和だったの
かもしれない── 当時は、そんなふうに思えました。
 

◆まとめ:笑いとは、境界線を超える力

0学では、笑いは「陰陽が実を結ぶつなぎ」であり、 矛盾・不条理・相反するものを
受け入れる心の柔らかさから生まれると捉えます。
だからこそ、真の笑いには「成熟」が必要で、そして、「愛」が必要です。
 
今、「笑えない空気」が世の中に増えてきたと感じる方へ。
もしかするとそれは、私たち自身の“社会の箱”が小さくなっているサインかも しれませ
 

◆ 笑えなくなったのは「箱が狭くなったから」ではない

最近になって、思うのは、あのラストシーンに笑えないとしたら、私たちの世界が 、
むしろ「広がったから」かもしれない… 昔の私は、 「あのシーンを笑えないのは、社会の箱が小さくなったから」── そう解釈していました。
 
でも、今は少し違ったふうに感じています。 もしかすると、 当時よりさらに進んだ新時代の社会は、かつてより“広くなった”のかもしれません。
 
性別、国籍、宗教、価値観、立場──
さまざまな背景を持つ人たちと共に生きていく時代。
 
陰陽融合の新時代は、相反するものの抱き合わせも、当たり前化しつつあります。
 

◆ 笑いの最終地点に“愛”があるか──

それが、時代を超える鍵 昔の「笑い」は、多少の乱暴さや一方的な力関係を許容して
いたかもしれません。 でも、新時代の「笑い」は、 陰と陽、真逆のものを抱き合わせたうえで、なお“相手への愛”が通っているかどうか。
 
だからこそ、 今の芸人さんたちは、 より深く、より繊細に、笑いの着地点を探しているのではないでしょうか。
 
笑いを通して、相手とつながる、陰と陽をつなげる山羊座要素、 そんなつなぎ感覚を、0学とともに見つめ直してみたいと思います。
 
🌷最後までお読みいただきありがとうございました。 こんな記事も書いておりますので、よろしければこちらもぜひご覧ください。